SCP財団『無縁』の推測(未満)
SCP財団に掲載されているtale『無縁』の考察(未満)をします。
作品の内容に触れていますので、お気をつけください。
(後から見直して気になった箇所は、気がついたときに修正します。)
※ほとんど個人の感想です。
この作品は、いくつかの資料のまとまりから成立している。
まずこれらの資料をひとつずつ取り上げ、気になる箇所などをまとめていく。
《まとめるにあたって》
『無縁』から引用した箇所は、〈〉で括ります。
また、資料の名前については記事の見出しを引用させていただくため、〈〉を付記します。
資料について
〈事件記録 a20040304 [最終更新日時: 2005年3月4日]〉
【概要】
2004年3月4日に財団職員の死亡が確認される。
死亡した職員が残したと見られる資料から異常現象が示唆されるとして調査が始められるが、異常現象が見つけられないため2005年3月4日(※)に調査は凍結。
ここに掲載されている資料群は、ここで見つかったものという形になっている。
※見出しに〈[最終更新日時: 2005年3月4日]〉とあるが、これは「財団職員が死亡した事件記録の最終更新日時」と考えられる。(2004年3月4日に亡くなった職員が更新したものではないと推測します。)
〈██研究員による音声記録〉
【概要】
2004年3月4日に亡くなった研究員が残した音声データ。
無断欠勤の理由や財団に向けてと思われるメッセージが残されている。
調べものをしていたが、何もないといった旨を語っている。最後のメッセージは、誰かにお雛様を見せるとも残している。
下線部にあたる部分を下記に一部引用します。(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。)
〈みんな知って[雑音]何日かずうっと調べものをしてたんだよね。それこそ、変な想像ばっかりして、ひとりで勝手にやってた。でもね、なあんも無い。ここに何かこわい関係はないか、縁はないか、そんな風に考えて色んな事をしたけどね、徒労だったよ。こわいことは自分の頭の中だけにあって、でも、現実にはただの事実しかないんだ。だからね、火のないところに煙を立てるような真似は、しない方が良いよ。何にもないとこには、本当になんにもないんだから。〉
この文章は、この作品をメタ的に表すものでもあると考えられる。
すなわち、理解しがたい儀式、事件、現象などに意味や因果、関わりを見つけようとしても現実にあるのは事実の連なりということである。
言い換えてしまえば、もしも傍から見て意味がありそうだと思った事象に対して、何らかの意味や超常的な文脈を見出そうとしても、単なる事象同士だけで期待した理由や因果「ない」ことがある、ということかもしれない。
メタ的に言ってしまうと、人が現実に発生する事象を物語として認識できない=理解や観測が及ばない現実の事象たちに対して、物語を見出し因果があると信じて探してしまうことに焦点を当てた作品だと示唆をしている文章とも考えられる。
〈語義.txt〉
【概要】
〈トシモン〉という語の説明。
記事によると、〈南高来郡小浜町冨津では盆のころ、異装をした青年男女が各家々を歩き回り、金品をもらって歩く行事が戦前まで行われていた。〉を指す言葉。
盆に行われる行事であるが、初盆の家は除かれていたとあるため、初盆の家には行かないようにしていたということと推測する。
【資料の出処】
〈長崎新聞社「長崎県大百科事典」より〉とあり、書物の引用と分かる。
〈談話記録4.docx〉
【概要】
〈富津〉の〈盆〉に行われる行事について語られている。
〈語義.txt〉の〈トシモン〉とおおよその特徴は合致している。〈語義.txt〉になかった内容として、行事で謡うと語られている。謡う内容は、〈まゆうごおなありい〉と語られている。
また〈語義.txt〉の〈トシモン〉と同音の〈祚者(ルビ:としもん)〉では謡の詞を変えるなどの決まりがあったとも語られている。
〈祚者〉は〈めでたく結婚したとか、子供が生まれたとか、そげな家のこと〉とされているらしいと語りから窺える。
【資料の出処】
記述なし。方言らしい口語文のため、民俗学などのフィールドワークで聞いたことをそのまま書き起こしたものといった印象を受ける。
〈肥前国見聞集.docx〉
【概要】
伏字にされた村(の因習?)について記述されている。
〈コトサマ〉という屋敷神についての儀式(習慣?)と意味について触れられているものの、〈コトサマ〉(=〈コト〉様?)の〈コト〉が何を表すのかはこれを書いた筆者も知らない模様。
表紙と見られる画像には、顔のある子どもと丸で囲まれた数字が書き込まれているように見える。
【資料の出処】
画像の通り、(作品の世界で)出版されたか製本されていたと思われる本。
個人の日記やメモといったものとは考えにくい印象を受ける。
【画像】
画像の名前は〈よくにたかんじょのしろいかお〉となっている。
〈手紙1-1.txt〉
雰囲気を持たせるためか、漢字が少なく、句読点がない特徴と、資料群の一部として掲載されているという性質のため文脈を読み取りにくいため、以下に本文を引用し、読みやすいように漢字変換と分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れます。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈手紙1-1.txt〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。)
〈このたびフキノカクとなつたオクサマのことにかんしてはおさつしいたします
イミ年であつた爲にトブライに来れず居た事どうかおゆるしください
たけのにしがじじからことにきをおとされたようだときいてたいそうしんぱいしておりましたゆえ あらたにはんりょみつけたときいたときはしんそこあんしんいたしました
またあえるひをたのしみにしております ちなつちゃんにもながくあつておりませんのでうちのちごううもあいたいとなんどもねだります
オクサマににてかちなつちゃんもやまひがちでございましたがげんきでいるでせふか
いろいろとたいへんだとおもいますががんばつて〉
↓
漢字変換と分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れたものです。
※ふりがなに、本文を表示しています。
このたび
イミ年で
たけのにしがじじからことに(※3)
また
オクサマに
いろいろと
※1
「不歸客」と思われる。
「フキカク」で調べたところ「字源 -jigen.net-」で、「かへらぬ人、死せし人、鬼籍に入る人。」とありました。
※2
「弔い」と思われる。
※3
〈たけのにしがじじからことに〉→「たけのにしがじじから ことに(殊に)」で、殊には「気を落とされたきをおとされた」に掛かる形容かとも思われますが、知識がなく、〈たけのにしがじじから〉が読み取れないため保留です…
※4
〈うちのちごうう〉→「うちの ちごうう」でこの手紙を書いた家の子どものことかと思われましたが、〈うう〉の意味が分かっていないので、保留です…。「うう」は複数形を示すとすれば、一応「家の 子どもたち」で意は通りそうになります。
【概要】
誰かが書いたと思われる手紙。
かなづかいが今とは違うため、昔に書かれたものと思われる。公的な文書というよりも、不幸に対する見舞いのための手紙と文面と内容から推測できる。
【資料の出処】
記載・画像がないため不明。
〈手紙1-2.txt〉
〈手紙1-1.txt〉と同様に以下に本文を引用し、読みやすいように漢字変換と分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れます。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈手紙1-2.txt〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。)
〈いきぐちのなごしからききました まことにおめでとうございます
きつとちなつちゃんもさみしくおもうことないでせふ
こうしてさんじょじじょがうまれあたらしさをむかえ たいそうにぎやかになることとおもいます
しかしらいねんにそらうちのことがありますのでしばらくはなれゆくこととなつてしまふのでせふか ことにざんねんにおもつているところです
なにかたすけになれることあればとおもいます おへんじまつています〉
↓
漢字変換と分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れたものです。
※ふりがなとして、本文を表示しています。
いきぐちの なごし(※1)から
こうして
しかし
なにか
※1
〈いきぐちの〉=「地名+(助詞)の」で、「~にいる、〈なごし〉」からという意に読み取れる。
※2
〈そらうちの〉+〈こと〉かとも思いましたが、文脈に沿う言葉を知らないため保留です。
文脈からは何かしらの出来事や予定、行事を示すように思われる。
【概要】
〈手紙1-1.txt〉と同様に誰かが書いたと思われる手紙。
ファイルの名称からは連番になっている。
また、〈手紙1-1.txt〉の後に同じ人物に宛てて送られたもののようで、内容として「伴侶をむかえる」→「子どもが生まれる」といった時系列かもしれないと推測できる。
〈さんじょ〉の部分に横線が引いてあり、間違えてしまったと見受けられる。ここから、過去に次女にあたる子どもがいたとも推測できるが、断言はできない。
【資料の出処】
記載・画像がないため不明。
〈手紙1-3.docx〉
【概要】
〈手紙1-1.docx〉〈手紙1-2.docx〉と同じようにひらがなのみで書かれた手紙。内容も、〈手紙1-1.docx〉〈手紙1-2.docx〉のように手紙を宛てた相手を気遣う内容となっている。
これのみ画像があり、四隅が欠けていると分かる。また、この記事を読んでいくと神代文字ということが窺えるようになっている。
【資料の出処】
記載がないため不明。
【気がついたこと】
この記事には画像以外にも、テキストとして神代文字が記載されている。
神代文字がテキストで入力できるのかと意外だったため、コピーして検索してみたところ、神代文字ではなく半角カナとなった。
通常の読みや書き方を外れた文字は、フォントがあったとしても特殊な入力方法をすることがあるのだが、(源暎こぶり明朝・源暎ちくご明朝のように濁点が通常はつけられない文字の入力など)これもそうしたことかと思っていた。
しかし、よく見てみると、意味のある文字列になっているように見えた。
ということで、かっこうのつかない気がつき方をしてしまい申し訳ないのですが、「記事にある神代文字をコピー」→「テキストにペースト」したものを以下に記載します。
<ここから>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マイウコナハリテツカ
ヘマツルミコタチオホキミ
タチマヘツキミタチモモノ
ツカサノヒトタチヲモヨノマモリ
ヒノマモリニマモリタマヒテ
スメラカミカトニイヤタカニイヤヒ
ロニイカシヤクハエノコトク
タチサカエテツカヘタテマツラシ
メタマヘトタタヘコトオヘタテマ
ツラクトモウス
<ここまで>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
半角カナとなってしまうので、全角カナにしてみます。
<ここから>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マイウコナハリテツカ
ヘマツルミコタチオホキミ
タチマヘツキミタチモモノ
ツカサノヒトタチヲモヨノマモリ
ヒノマモリニマモリタマヒテ
スメラカミカトニイヤタカニイヤヒ
ロニイカシヤクハエノコトク
タチサカエテツカヘタテマツラシ
メタマヘトタタヘコトオヘタテマ
ツラクトモウス
<ここまで>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
祝詞には詳しくないので、どういった内容かは分かりませんが、「マモリタマヒテ」「タマヘ」「タテマツラクトモウス」といった部分から、祝詞の内容かと思います。
次に、一部漢字などにできそうな箇所はしてみます。
<ここから>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マイウコナハリテ ツカ
ヘマツル(仕へ奉る) ミコタチ(巫女たち) オホキミ
タチ(大君たち) マヘツキミタチ(前つ君《※高位の人》たち) モモノ
ツカサノヒトタチヲモ(百官《※役人》たちをも) ヨノマモリ(夜の守り)
ヒノマモリニ(日の守りに) マモリ(守り) タマヒテ(給いて)
スメラカミ(皇尊) カトニイヤタカニイヤヒ
ロニ(伊夜高に伊夜広に) イカシヤクハエノコトク(伊賀志夜具波江のごとく)
タチサカエテ(立ち栄えて) ツカヘ(仕え) タテマツラシ
メタマヘ(奉らしめ給え) ト タタヘコトオ(称辞竟《※褒め称える言葉》) ヘ タテマ
ツラク(奉らく) ト モウス(申す)
<ここまで>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この記事の後の方で出てくる資料を参考に調べ、こちらとこちらを参考にさせていただきました。
【画像】
画像の名前は〈ごにんばやしのふえたいこ〉となっている。
〈談話記録7.docx〉
【概要】
誰かが事件を語っており、それを聞き取った形の資料と見える。
語り手によると、次の事件が推測される。
・一年ほど前から来た後妻にあたる人物
→〈狐憑き〉と言われている。子どもを産んだらしい。
・後妻にあたる人物が子ども二人を手に掛ける
・その家の父親は亡くなっている
→コレラではないが、薬で治るものでもない病だったらしい。
しかし、これらはあくまで事件を目撃した人物の話であり、どこまで信じられるかは分からない。
途中で後妻あたる人物について語っている部分では、〈あんまり喋らんと、じいっとしとらす人やったわ。直ぐに、…二番目の娘さんの腹に居るけんがって、暫く見ることも無かったんが。〉とあるが、〈直ぐに、…二番目の娘さん〉と言葉を詰まらせたとも伺える描写がある。
【資料の出処】
記載・画像がないため不明。
【気がついたこと】
〈手紙1-1.txt〉〈手紙1-2.txt〉などでも窺えてくるのは、「ある夫婦と娘がいたが、妻に先立たれて後妻を迎えた家」という要素である。
後妻も子どもを産んでいるようだが、〈手紙1-2.txt〉とこの資料から、子どもは長女(前妻の子)と次女(後妻の子)だけではなく、その間にあたる女の子がいたと思わせる部分が見られる。
子どもが三人いたとしてそのうち一人の存在が意図的に隠されているとした場合、後妻が来てから一年で子どもを二人産むことが現実には少ないこと、三人目にあたる子どもが生まれた頃に〈手紙1-2.txt〉では〈さんじょ〉と触れられているため、次女と三女にあたる子どもの歳が同じとは考えにくい。(少なくとも数年の差はある?)
【画像】
画像の名前は〈ごにんばやしのふえたいこ〉となっている。
〈日記帳p12.txt〉
〈手紙1-1.txt〉と同様に以下に本文を引用し、読みやすいように漢字変換と分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れます。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈日記帳p12.txt〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。)
〈ズットコエガキコエテイテ ミミヲフサイデモ
ゴメンネトナンカイモイッテルノデスガ アノヒトハウルサイトキョテカリマス
ヨルニナルト イツモイツモコエガキコエマス
ホントニイヤデス〉
↓
ズット
ゴメンネト
※
〈キョテカリ マス〉かと思い調べてみたところ、「きょて」で怖いという鳥取の方言があるらしいです。
想像ですが、「怖がります」という文意かと思いました。一応、「あの人は怖がります。いつも夜になると声がして、私は本当に嫌です」という意で読めるので…ですが、他の資料には九州地方が窺える箇所があるため、間違っている読み取り方をしていると思います。
【概要】
誰かの日記と思われる一部。後から出てくる資料に、すべてカタカナで書かれている日記が出てくる。
【資料の出処】
記載・画像がないため不明。
〈20040303.eml〉
【概要】
この記事に出てくる資料をまとめた人物である、〈██ ██研究員〉にあてて送られたと思われるメール。拡張子〈.eml〉からも、テキストなどではないメールで送られたものと推測できる。
タイトルが2004/3/3に送られたことを示すとすれば、〈██ ██研究員〉が亡くなった状態で発見される前日に送られている。
(上司と部下に仕事について言われているのが判明もしています…)
【資料の出処】
資料のタイトルにある拡張子とメールの内容から、〈██ ██研究員〉に送られたメールと推測できる。
〈新聞記事.jpg〉
一部文字が読みにくい箇所があるため、新聞の見出し以外を書き起こします。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈新聞記事.jpg〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。判別ができなかった箇所は○にしています。)
〈十日午後四十七分、■■■町■■■村で農作業をしてゐた■■■■さん(78)から、同村に住む■■■■(38)が発狂して自分の娘を殺害と(※1)したと■■署に通報された。警察が現場に向かふと、前後不覚に陥り泣き叫ぶ母親の■■と(※2)頭部から無残に流血すと二人の子供の姿があつたといふ。亡くなつたのは■■の娘で○○千夏ちやん(15)と紅葉ちやん(○)で殺害は○○錯乱状態に在る■■の氣が○るのを待つてから調査を進める。■■が斯様な犯行に及んだ理由は、いまだ判明しておらず、謎を深めるばかりである。近所に住む■■さんの談によると、■■は最近になって夫が原因不明の奇病により、亡くなつてゐるのとの事で、警察は其れを苦にした無理心中ではないかとの見解を示し〉
※1
「を」かと思ったが、「を」とは違い「と」に見えたため「と」にしています。
※2
不明瞭な箇所のため、〈と〉かは不明。
【概要】
母親が子ども二人を手に掛けた事件を報道する新聞。
動機や事件の詳細は不明だが、子どもの名前と二人の子どもの年が15歳と数字は読めないものの一桁の年齢であることが推測できる。
また、この事件の新聞から「子どもが亡くなった」事件は確かにあったことが分かる。
〈談話記録7.docx〉で語られている事件と同じと推測できる。
【資料の出処】
画像から事件当時の新聞と読み取れる。
【画像】
画像の名前は〈ふたりならんですましがお〉となっている。
〈民俗諸考97頁.txt〉
【概要】
子守歌らしい歌詞が載っている。
調べてみたところ「島原の子守歌」らしいです。(参考サイト)
この記事の最初の節は売られて帰ってきた娘が裕福(金の指輪をつけている)になっていることを示している。
二番目の節は、人買いが目を反らすための火が燃える中で売られた娘は握り飯をもrっている状況をしめしている。
三番目の節は売られていく娘を、最後の節は不知火の様と伴天連祭りも終わったと寝かしつける内容であるらしい。
【資料の出処】
タイトルから、書物の引用と推測できる。
【気がついたこと】
最後の節が調べて出てきた島原の子守歌の内容とは異なっているのが気になりました。(上記の参考サイトや歌詞を調べると分かります。)
この記事の最後の節は「不知火の様と伴天連祭りも終わった→泣かないで寝なさい→人買いの人が来る」という形になっています。
また歌の順番も調べた歌の順番とは異なっており、調べたものの順番の歌詞の順で表すと「3124」となっている。
〈手紙4-56.txt〉
〈手紙1-1.txt〉と同様に以下に本文を引用し、読みやすいように漢字変換と分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れます。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈手紙4-56.txt〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。)
〈コヤミノ(※1)
コマチノ(※2)
コゼンバノイニシモ(※3) オ
ケフナルヲ
ノルモ
オ
スグニ デテイケ〉
※1
小止みで、「雨や雪が弱まる」の意? それとも、小病かと思いましたが、分かりませんでした…
※2
小町で、「美しい娘」の意?
※3
分かりませんでした…
【概要】
手紙の送り先の相手に不満を伝え、「お前のせいだ」といった内容になっている。
〈手紙1-1.txt〉から同様のタイトルのつけられた手紙となっているものの、書き方が異なっている。
【資料の出処】
記載・画像がないため不明。
〈明朝民俗学体系第2巻308頁.docx〉
【概要】
〈肥前国見聞集.docx〉で出ていた異様(コトサマ)について触れている。
人畜無害で泣いている姿を目撃されたと資料には書かれている。
【資料の出処】
タイトルから、書物の引用と推測できる。
〈ながさきむかしばなしえほん.txt〉
【概要】
『ヘンゼルとグレーテル』のような継母が子どもを手に掛けてしまう話が載っている。
「子ども二人を母親が手に掛けた」という点では、〈新聞記事.jpg〉の事件と共通しているが、それ以外のつながりを見出すことはできませんでした。
可能性としては、「子ども二人を母親が手に掛けた」〈新聞記事.jpg〉の事件が、こうした昔からある因縁、いわくといったものに関わっていると誤解させるために入れたとも考えられる。
【資料の出処】
タイトルから、何かの書物の引用と推測できる。
〈日記帳p38.txt〉
〈手紙1-1.txt〉と同様に以下に本文を引用し、読みやすいように分節や単語の区切りと思われる箇所に空白を入れます。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈日記帳p38.txt〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。)
〈イママデ アリガトウ サヨウナラ
オトウサン ゴメンナサイ
デモ オカアサンハ モウ ゲンカイデス
モウ ナッチャンノコト ミルノ タエラレマセン
モミジハ ナッチャンニ ヨクニテイマス
モウタエラレマセン
ゴメンナサイ サヨウナラ〉
【概要】
〈日記帳p12.txt〉の後に書かれたと思われる日記。
周囲に謝る言葉とお父さんと子どもに向けたらしい文章のため、〈新聞記事.jpg〉の事件の母親にあたる人物と推測できる。(この記事に出てくる人物で、お父さんと子どもという関係がある人物が〈新聞記事.jpg〉の事件の母親のみであるためです。これが間違いの場合はどういったミスリードをする要素か不明であったため、「この日記を書いている人物=〈新聞記事.jpg〉の事件の母親」と推測しています。)
また、これらの資料に出てくる「父親・母親・子ども」の関係があると推測できるのは〈新聞記事.jpg〉一家族のみであり、〈手紙1-1.txt〉~〈手紙4-56.txt〉はこの家族宛てとも考えられる。
【資料の出処】
記載・画像がないため不明。
【気がついたこと】
〈ナッチャン〉とは誰かと考えたとき、考えられるのは〈手紙1-1.txt〉に書かれている〈ちなつちゃん〉(〈新聞記事.jpg〉の〈千夏ちやん〉)と思い浮かぶ。名前の音と〈ナッチャン〉が一致していることもあるが、〈手紙1-2.txt〉〈談話記録7.docx〉で三人娘がいたと思わせるような記述があるため、〈ナッチャン〉=〈ちなつちゃん〉と断言はできません。
しかし、〈モミジ〉は愛称がないため、日記を書いた母親と血のつながりのある〈紅葉ちやん〉であり、前妻の子である〈ナッチャン〉と考えると二人になぜ愛称の差があるのか理由はできます。
この日記で、〈ナッチャン〉〈モミジ〉と子ども二人を呼んでいるとすると、〈日記帳p12.txt〉の〈アノヒト〉はこの二人の子どもではないとなり、こちらも「娘が三人いるように読める部分」「三人を示す呼称」が一致し、理は通るかもしれません。
これは妄想に近い考えですが、超常的な要素・心身の病(この記事の狐憑きのような状態)のどちらの問題が理由であったにせよ、前妻の子どもである〈ナッチャン〉と自身の子どもである〈モミジ〉が似ていくことを恐れる・疎ましく思うことがないわけではないと思っています。(超常的な問題に精神が追い詰められていき抱いた想像、血のつながりのある子どもを贔屓する、血のつながりがないためうまく付き合うことができないのが負担で心身に問題をきたし始めるが理由にあると考えられるためです。)
そのため、〈日記帳p12.txt〉のような超常的な問題で母親が子ども二人に手に掛けた可能性もあるかもしれませんが、結婚した相手と前妻の子ども、妊娠といった慣れない環境で、精神的に疲れてしまい今で言う精神的な病に至った可能性もあると考えています。(もしくは、その両方が組み合わさった結果です。)
〈民俗諸考118頁.txt〉
【概要】
〈民俗諸考97頁.txt〉にある子守歌の説明となっている資料。
赤子に対する憎しみが子守歌として歌われることがあると書かれている。
【資料の出処】
タイトルから、何かの書物の引用と推測できる。
〈20040228.eml〉
【概要】
〈手紙1-3.docx〉に書かれた文字の説明が記載されたメール。
拡張子が「.eml」になっている他の資料からも、〈██ ██研究員〉宛てに送られたメールと考えられる。(このメールのみ他の誰かに宛てたものだとすると、そのように表現する意味があるのか分からないためです。)
メールの内容は、手紙の神代文字が祝詞であるものの、手紙の四隅が燃やされていることで呪いと転じたものであり、送り主は悪意があったと言及している。
【資料の出処】
資料のタイトルにある拡張子とメールの内容から、〈██ ██研究員〉に送られたメールと推測できる。
〈談話記録13.docx〉
【概要】
〈談話記録7.docx〉〈新聞記事.jpg〉の事件現場にいた警察官の話したと思われる記録。
二人の子どもがいたこと、姉にあたる子どもは現場に行った時点では息をしていたこと、片方の子どもは〈赤ちゃん〉ということが読み取れる。
また、SCPらしい存在(現象)である〈蛙んごた顔ばした、小さか赤ん坊みたようなもん〉がおり、〈血溜まりば見てか警察やらば見てかは分かりませんが、大きか目ば細うして、にこぉっと笑いよりましたよ〉と語っている。
【資料の出処】
〈談話記録7.docx〉同様に記述なし。方言らしい口語文のため、民俗学などのフィールドワークで聞いたことをそのまま書き起こしたものといった印象を受ける。
〈無題.jpg〉
一部文字が読みにくい箇所があるため、新聞の見出し以外を書き起こします。(引用などに問題がありましたら、削除します。)
〈無題.jpg〉本文引用(引用のため、文頭と文末に〈〉を付記しています。判別ができなかった箇所は○にしています。)
〈オヨメニイツタネ○マニヨク(ワ?)ニタカ
ンシヨノシロヒカ(ケ?)オキモノ○カハチ(テ?)オ
ヒシメテケフハワ(ウ?)タシモハレスカ(サ?)タ(ラ?)
ハルノヤヨイノコノヨキヒ○○○○(ウ?)
レシヒヒナマツリ〉
一部判別できない箇所もあるものの、
〈オヨメニイツタネ○マニ〉
→およめにいった ねえさまに
〈ヨク(ワ?)ニタカンシヨノシロヒカ(ケ?)オ〉
→よくにた かんじょの しろいかお
〈キモノ○カハチ(テ?)オヒシメテ〉
→きものをかえて おびしめて
〈ケフハワ(ウ?)タシモハレスカ(サ?)タ(ラ?)〉
→きょうは わたしも はれすがた
〈ハルノヤヨイノコノヨキヒ〉
→はるのやよいの このよきひ
〈○(ウ?)レシヒヒナマツリ〉
→うれしい ひなまつり
上記のように、歌詞の順番は違っているが、「うれしいひなまつり」の歌詞らしいと推測できる。
(歌詞の参考)
【概要】
壁に貼られているような紙が写っている画像。
塀らしきものとバケツのような写真と、その下に文字が書かれている。
【資料の出処】
記述がないため不明。
【画像】
画像の名前は〈はるのやよいの〉となっている。
考察
考察にあたり、この記事を書かれた筆者がDiscussionで作品の根幹に関わるネタバレと言及をしているため、それを参考にしています。
この言及がなかったら、私はまったく読み取りができなかったと思います…(あっても読み取り方が浅い気がしますが…)
考察にあたり、〈新聞記事.jpg〉や〈談話記録13.docx〉の事件にある家族は一つの家族と仮定し、「夫と亡くなった前妻の子ども、夫と後妻の子、後妻。表立ってはいないことになっているらしい子どもがいた可能性がある」としていきます。
複数の家族の話の断片かもしれませんが、そうすることの意図が読み取れないこと、複数の家族であると読み取れる箇所がないように思えましたので、このように仮定しています。
誰が本当のことを言っているのか
この資料群からは、「村での事件」が読み取れる。呪いとなった祝詞が書かれた手紙、あえて〈さんじょ〉と消された部分がある手紙、〈談話記録7.docx〉では〈曳き者〉として都会から来た者への差別や悪意(手紙の悪意が、誰からどういった対象にかは不明)が窺える。
ここから、資料群の中で信頼できそうな情報から並べてみる。
信頼度:大 | 公的な機関・SCP財団による資料 | 事件記録 a20040304 [最終更新日時: 2005年3月4日] | 最も信頼できると思われる資料。 |
---|---|---|---|
信頼度:大 | 公的な機関・SCP財団に近しい人物による資料 | 20040303.eml 新聞記事.jpg 20040228.eml 談話記録13.docx |
嘘をつく必要やメリットがないと思われるため、信頼できると判断しました。警察官は村人と限らないこと、新聞で虚偽を掲載するのは疑問なため信頼できるとしています。 また、メールは送ってきた相手が亡くなった研究員が調べていたことを知らないようであるため、そもそも嘘をつくことが難しいという考えです。 |
信頼度:中 | 出版・発行されたものからの資料 | 語義.txt 肥前国見聞集.docx 民俗諸考97頁.txt 明朝民俗学体系第2巻308頁.docx ながさきむかしばなしえほん.txt 民俗諸考118頁.txt |
書物らしい資料は、書いた人物があえて虚偽を書いたとは考えにくいため。 |
信頼度:中 | 村との関係と出処が不明な資料 | 談話記録4.docx | 内容としては「語義.txt」の関連資料といった立ち位置にある。 虚偽である可能性は低いと思われるものの、真実であるという根拠も少ない。 |
信頼度:小 | 事件のあった村と関わりのあると考えられる資料 | 手紙1-1.txt 手紙1-2.txt 手紙1-3.docx 談話記録7.docx 手紙4-56.txt |
事件のあった家族に宛てられたと思われる手紙と、事件の目撃者の話であり、自身の益や村のために、嘘をつく可能性や意図的に都合の悪いことを表にしない可能性が考えられる。 |
信頼度:例外 | 例外 | ██研究員による音声記録 日記帳p12.txt 日記帳p38.txt 無題.jpg |
亡くなった研究員の記録と事件のあった家族の母親と思われる人物の日記、最後の出処不明の画像である。 これらはどこまでが真実か嘘(妄想)かの判別ができないものとする。 |
上から順に信頼できると考えられる(嘘をつくメリットが少ない、嘘をつく必要がないと思われる)順番に並べてみている。
例外は、信頼するには難しいと思った資料をまとめている。
ここから、おそらく想像できる事柄を箇条書きしていく。
・██研究員がこれらの資料を集めた後、亡くなっている。
・どこかの村で、夫を亡くした後妻が子ども二人(おそらく前妻の子と自身の子)に手をかけた事件が起きた。
・資料にある〈手紙1-3.docx〉の文字は神代文字であり、四隅が燃やされた手紙から呪詛としての意味を持つ。(実際の効果は不明だが、『呪詛』としての意味を持つという文脈を持つ物)
他にも、コトサマやトシモンなどの用語、えほんの内容や歌の資料があるが、どういった意味を持つのかは不明なため、除外している。
資料の関係
上で資料が信頼できるかをまとめてみたが、ここで資料が多岐の内容にわたり、どの資料をどのように読み取るべきか私が混乱してしまったため、資料の関係についてまとめてみる。
実線部分はつながっていると思われる部分、点線はつじつまを合わせてつながっていると思われる部分を探した箇所である。
・水色の部分が信頼できそうな資料
・赤とオレンジ色部分が事件のあった家族に関する資料
・紫部分が家族のいた村に関係すると思われる資料
・緑が何かしらの説明にあたる資料
としている。
こうしてまとめることで、この資料群からそれぞれつながりを見出し「ある一つの結果に至るつながり」を導き出すのは難しいと考えた。
理由は、資料がすべてつながっているか私の知識や読み込みが浅く判断が難しいこともある。
だが、この記事のみである程度の「物語(作者の想定する文脈・表現)」が読み取れると仮定し、「すべての資料が何かしらで関係し、つながってSCPらしい超常現象に関わる」とした場合、これらの資料群に対して強引につながりを見出してしまう可能性がある。これは、〈██研究員による音声記録〉にもある何もないところにつながりを求めてしまう危険性を示唆する部分でもあるのではないだろうか。
ここから、██研究員がつながりを求めるために集めた資料の中には、事件のあった家族・SCP財団が関わるような類のものと関係がない情報が含まれているとする。
知識不足で読み込みが甘いと思われる部分が散見されるが、私の推測としては上記画像で点線で結んだ箇所はつながりそうだと思えばつながるかもしれない…とした資料のため、点線で結ばれる資料は何も現象に対して何かしらのつながりを見出すために集められた資料(ミスリードとすると分かりやすいかもしれません。)と私は考える。
資料から見られる家族について
断定的なことは言えず、あくまでも想像であるが、前妻が亡くなったことで後妻を迎えた夫と、前妻との間の子である〈千夏〉、後妻にあたる妻、夫と後妻の子である〈紅葉〉の家族が複雑な関係であったとは想像しやすい。複雑な関係であったというよりも、周囲からは『普通』から外れた家族と見られたのではないだろうか。
〈日記帳p38.txt〉に〈モウ ナッチャンノコト ミルノ タエラレマセン〉とあることから、見るにしろ、世話をみるにしろ、母親が何かに耐えられなくなっていたと窺える。そして、その子どもに自身の子である〈モミジ〉が似ていくのが耐えられなくなったとするのが、この日記から強引に物語を読み取ろうとしたときに想像された。
血のつながらない子どもへの虐待、保護者にあたる人物が子どもに手をかけてしまう事件も、ないわけではない。(その逆もあるかもしれません。)この資料群から何があったのか、何が原因なのかは不明ではあるが、母親と子ども(千夏)の関係が良好ではなかったことが推測できる。
以下は妄想に近い内容です。
〈日記帳p12.txt〉で〈ヨルニナルト イツモイツモコエガキコエマス〉という記述がある。
そして、〈アノヒトハウルサイト〉という記述がある。
これらから、もしかすると父親にあたる人物と子どもにあたる千夏に親子以外の関係(私の想像では親近相姦ですが…)があったのでは…?と穿って考えてしまった。(夜の声、それを指摘すると父親がうるさいと言う?)
父親の病は梅毒などの性病で、感染はしない(空気感染や食事による経口感染はせず、妻のいる夫が他者に感染させるとは考えにくかった?)、熱やうわごとなどの症状、ペニシリン普及までは薬で治る病ではなかった(新聞記事などが古そうに見えるため)と、強引につじつまを合わせようと思えばできないわけでもないような…(苦しいつじつま合わせですが…)
しかし、こうしたことがあった場合、子どもと母親の間(そもそも家族間で)軋轢があった、さらに母親から子どもへの憎しみ・恐怖などがあったかもしれないと思います。
上の私の妄想がまったく関係なくとも、夜に声が聞こえるというストレスや、結婚した先での慣れない環境、前妻との子どもの関係、夫の病、都会から来たことによる村人からの差別、妊娠という状況が重なれば、ストレスで精神に負担がかかったことは推測ができるか…?と思っています。
村の人々からの手紙のいやがらせの原因は分かりませんが…周囲から違う要素があれば弄ばれるように勝手な噂話を娯楽として消費される時代だろうなと嫌な想像をしてしまいました。
《追記 2022/7/26》
もしかすると、〈モミジ〉は亡くなった父親と〈ナッチャン〉との間の子では…と最悪の想像をしてしまいました。
しかし、こうして考えてみると血のつながっていない子どもを我が子として育てているうえに、家族として暮らしている身近な存在が全員血のつながりはなく、単なる都合のいい隠れ蓑や労働力として扱われているのでは?と想像されて物語として理解はしやすくなるな…と考えました。(このような思考もこのSCPの「考える」ことで深みにはまっているとも思えます。)
『無縁』の異常性
以上から、資料群がどれほど信頼できるか、また各資料のつながりを考えて改めてこの記事の異常性について考えていきたい。
本当に何もない事象たちに何かしらのつながりを見出そうとすることが異常性かもしれないが、そうした異常性は報告されていないことで、この資料群を調査したSCP財団の職員がその異常性を発見していないことから、ないと推測する。
そのため、
・なぜ『呪詛』にあたる手紙を送ったのか
・子どもは三人いたのではないか
・「コトサマ」とされる存在は何か(この記事で判明するのか、出現しているのか?)
・なぜ母親は子どもに手をかけたのか
以上の事柄は、私では妄想に近いつながりや答えらしきものを見出してしまう可能性が強く、推測ですらなくなると思った。また、異常性があるのかもはっきりと判断をくだせなかった。
ここで上の箇条書きにした要素は、
・誰かが『呪詛』にあたる手紙を送った
・子どもは三人いたかもしれないとも読み取れる資料がある
・「コトサマ」の存在を思わせる資料がある
・母親がおかれた状況はストレスが多かったと推測される
という認識に留め、これ以上の深堀りをして、何も関連のない事象に対して何かしらの文脈や物語、結果を見出すことはしないこととする。(これ以上は妄想になってしまい、私にはできないと思いました! とても難しいので…)
しかし、亡くなった██研究員や、この記事のソースコードを見ることで見つけられるURLとそこにある画像は異常性がない記事に付与されるものとは考えにくい。
ここでこの記事と資料群の異常性を考えてみたい。
この資料群の見えにくい部分にちりばめられている要素は「ひなまつり」である。
それは各画像の名前がひなまつりの歌詞となっていること(隠されている画像の名前は〈きょうはわたしもはれすがた〉である。)、最後の〈無題.jpg〉にもひなまつりの歌詞が読み取れることから推測される。
〈██研究員による音声記録〉にも〈お雛様を見せてあげないといけません〉という箇所がある。
ここからは私の妄想にも近い推測となる。
母親が子ども二人を手に掛けた現場で目撃された「コトサマ」とされる存在(と思われる)ものが、これらの事件の中であった要素をきっかけに、隠された画像のような存在となったのではないだろうか。
ただ泣いているとされた存在から、母親が子ども二人を手に掛けた事件を何かしらのきっかけとして笑った様子を見せ(警察官が目撃した印象が正しいとして…)、隠された画像の〈きょうはわたしもはれすがた〉という名前のように晴れ姿をまとうような存在になったのではないかという推測である。
つまり、ただ泣いているとされる「コトサマ」がこうした晴れ姿をまとえる子どもに成長したことで、ただ泣いていることで無害だった存在(無脳症で捨てられた子どもか、何かしらの儀式に利用され祀られた、尊いと崇められた存在か、無脳症と似た特徴を持つ超常的な存在か、資料から窺える三人目にあたる子どもかは不明だが、人々に対して害を成す力はなかった)が、母親が子ども二人を手に掛けた事件をきっかけとして、隠された画像のような存在となり、〈無題.jpg〉を残す(?)ほどの影響力を持ったのではないかという推測である。
ここで隠された画像の存在は、事件のあった家で生まれたが無脳症で亡くなってしまった子どもかもしれないが、これは物語を資料群から読み取ろうとして想像したに過ぎない。
しかし、隠された画像にある存在はこの記事のソースコードからではないと見られないものであり、異常性を表わしていると推測する。(何でもないものをあえて隠す演出の意味が分からないためです。)
そして、██研究員はこの存在によって影響されたと推測する。
それでは、この異常性に██研究員はなぜ影響され、調査したSCP財団の職員は影響がなく調査をやめたのかを考えてみる。
私が推測したのは、「この記事にある画像に映ったものを直接見ることで、隠された画像の存在の影響を受ける(出会う? 認識する?)」である。
資料群にある画像は手紙や書物の表紙、過去の新聞記事である。
これらが年季が入っているように見えることから、██研究員が調査した結果を原本を手元に置くことは難しいと判断し、画像化して保存したと推測する。
これらの画像を直接見ることが隠された画像の存在につながることになるのであれば、██研究員が亡くなったが、それを調査しただろう職員には異常などがなかったことも説明が可能である。
██研究員が収集した資料の原本を財団職員は直接確認できなかった、事件の調査として██研究員が集めた資料の調査を重要視して原本にはあたらなかった、██研究員が集めたものの復元できなかった7割に隠された画像の存在の影響を受けるきっかけとなるものがあった、といった説明である。
もしくは、██研究員は
・〈肥前国見聞集.docx〉で〈コトサマ〉という存在を認める
・事件があった家に〈手紙1-3.docx〉で呪詛が送られることがあったと想像する
・〈新聞記事.jpg〉は〈コトサマ〉に関するのではないかと想像する
・〈無題.jpg〉で〈コトサマ〉が超常的な影響力を持つ存在と認める
といった過程で、隠された画像の存在のような〈コトサマ〉を、たとえつながりのない事象たちからであっても想像してしまい、それらの想像から異常性を持つ存在が発生(または遭遇・認知)をしてしまったのかとも推測しました。(そうして仮定をすると、財団の調査では『あくまでも事実を調査し、想像や発想の飛躍はできるだけ排除する』といったことが重要視された結果、██研究員と同じ現象が起こらなかったという説明もできます。)
考えたことのまとめ
他にもまだ考える余地、足りない知識や読みきれていない作品(動画作品もあります。)もありますが、この記事から推測できることをまとめてみました。
個人的には、「何もないところから想像されて現れる異常性」なのか、「過去にあった理不尽な人々の嫌がらせや悪意(=無縁な事柄で引き起こされた嫌がらせ)、精神的なストレスを受けやすい状況で引き起こされた事件で発生した異常性が、研究員によって見つけられた(現象としての発生条件が細かい、または財団による調査には『想像する』という部分がないため発現せず発見されなかった)」といったところだろうか…?と思いました。
私では読みきれていない箇所がたくさんあるかと思いますので、他の方の考えもみたいと思いました…
リンク
・無縁